まち劇インタビュー集

写真:陳文慧(主婦・司法通訳)

陳文慧(主婦・司法通訳)

 勉強が嫌いだったから、エスティシャンになりたくて、台湾から日本に留学したんです。語学学校で成績優秀だったので、先生に大学受験を勧められ、大学に進学しました。その頃の日本は成長期で、大学の友達は、起業して社長になることを目指してる人ばかり。環境が変わって、考え方も変わって、私はNECに入社しました。外国籍の現地採用第1号で、エリート集団に配属されました。妊娠8ヶ月半まで勤務を続けたんですが、静岡に住む夫との週末婚を解消するため、静岡市に転居しました。31才でした。

 NECのエリート集団では、国籍による差別などなかったけど、当時の静岡での状況は、天と地の差がありました。子どもが小三の時に「一切学校に来ないで」と言うので、「なぜ?」と聞いたら、「友達から、ママが日本人じゃないと言われた」って言うんです。一度、重度の鬱病にかかったこともあります。でも、子どもが家を選んで生まれたわけではないので、親としての責任があると考えるようになって、自分を変えることに決めました。
 子育てしながらできる仕事を探して、司法通訳になりました。でも、固い仕事は自分を殺してやらなければならないので、国際交流の仕事も始めました。静岡市の三和酒造のお酒を台湾に出荷する会社を作りましたし、最近は中華圏向けのYouTuberとしても活動を始めてます。

 人は環境によって考え方が変わるし、全てが思うようにならない。勝てないものもあります。でも、あきらめないことは大事ですし、歳を取ることは悪いことばかりじゃない。今思えば、NECに残っても、ルーチンな生活を続けていたでしょう。50才を過ぎて、先を見るようになったけど、子どもがいなければ、今の自分はいないと思ってますし、これまでのことは人生の糧になってます。それに今は、いい友達もたくさんできて、静岡市が大好きなんです。2021年取材

その後

 面白くないからやめました。コロナ禍で、知り合いに誘われて、YouTuber始めたけど、「自分が見たくないもの」は他人に薦められないじゃないですか。
 でも、暇じゃいられない性分で、新しい仕事に着手しました。エネルギー関連のビジネスです。苦手なタイプの仕事だったけど、やると決めたらやるだけやります。勉強して、何度もトライして、静岡地区で営業ナンバーワンになったんですよ。お金より仕事の達成感が好きで。悔いが残る人生はイヤなんです。
 本業の司法通訳も続けてますが、ベテランになっても、人と人の架け橋になれるよう、どんな案件もおざなりにしないようにしてます。殺人事件も何件か担当しましたが、人っていつ何が起きるかわからないんですよ。普通に生きてても、カーッとなって、その一瞬で殺人者になることがあるんです。他人事じゃないんですよね。

 もともと身体が強くないから、若い時から常に「そんなに長く生きていたくないな」って思ってるけど、だからこそ、生きてる内に、今ある色んな問題は解決したい。じゃないと来世でもそれをやらなきゃじゃないですか。だから今世でやる。疲れ切ってても、やる。目標があったり、方向を決めてしまえば、1つ1つ出来ることを根気よくやってゆくだけだから。続けてれば、必ず誰かが少しづつわかってくれます。

 家族でも友人でも、一緒にいられるのは「縁」。「縁」が遠くなるのは哀しいです。その人に私ができることがなくなってゆくって思うと。国際関係の仕事もしてたので、ウクライナにもロシアにも友人はいて、今はできることが少ないけど、とにかく悪い人たちの思惑通りにならないで欲しい。もしも祖国の台湾が何らかの危機になったら、私は台湾のために闘いますね。

一問一答陳文慧

  • 今日の朝食

    バナナ、焼き芋、紅茶

  • 一緒に住んでいる人

    夫、次男、娘

  • 最近読んだ本

    あまり本を読みませんが、李登輝前総統の本が大好きです、(例: 台湾の主張)

  • 好きな映画、ドラマ、舞台

    タイタニック、あすなろ白書、ミュージカル

  • 好きな音楽

    洋楽、クラシック名曲

  • 静岡を色に喩えると

    青色

  • 静岡を漢字一文字で表すと

  • 静岡に初めて来た人をどこに連れていきますか

    日本平、三保の松原

  • 静岡の全市民に見て欲しいもの

    世界の現状

  • 今、一番感謝を伝えたい人は

    私を応援してくれた全ての方に

  • 今、一番大事にしている言葉は

    塞翁が馬、石の上にも三年、馬に乗るまでは牛に乗れ